透明性のパラドックス:Nothing Phone (3)が失った「見えないデザイン」

完璧だったはずのPhone (3a) Pro

僕はNothing Phone (3a) Proを愛用している。ユニークなデザイン、フィボナッチスパイラルを想起させるカメラ配置、クリーンなNothing OS、性能の高いカメラ。ほとんど全てが完璧だった。手に取るたび、このスマートフォンには「意味」があると感じられた。背面のパターンは装飾であると同時に、何か本質的なものを表現しているように見えた。

しかし、2025年7月に発表されたNothing Phone (3)を見たとき、僕は困惑した。3つのカメラが非対称に配置され、特に最上段のペリスコープ望遠レンズは他の2つとずれている。一見すると奇抜だが、見方によっては新しい調和の形とも言える——この配置については意見が分かれるだろう。背面のパターンはPhone (2a)の時点で既にフェイクの装飾だったが、それでも「機能を示唆している」ように見えた。だがPhone (3)では、背面デザインがスマートフォンの機能やパーツ配置とは完全に切り離されていることが明白になった。

なぜNothingはこのような方向性を選んだのか。このデザイン転換は単なる迷走なのか、それとも何か深い意図があるのか。建築と現象学を学んだ者として、この問いを多角的に掘り下げてみたい。


フィボナッチから非対称へ:デザインの表層分析

まず、Nothing Phoneシリーズのデザイン変遷を整理してみよう。

Phone (1) / (2):

  • 透明な背面ガラス、内部構造の可視化
  • Glyphインターフェース(Phone (1)から導入されたLEDによる通知システム)
  • 「中身を見せる」という透明性の物理的表現

Phone (2a) / (3a) / (3a) Pro:

  • より洗練された透明性、ミッドレンジラインナップ
  • 背面パターンの導入(機能的要素と装飾の中間)
  • (3a) Proではフィボナッチスパイラルを思わせるカメラ配置、数学的調和と視覚的バランス

Phone (3):

  • 3つのカメラが非対称に配置(ペリスコープ望遠が最上段でずれた位置)
  • 従来のGlyph InterfaceからGlyph Matrix(ドットマトリックスLED)へ進化
  • 配置の「調和」については見方が分かれる奇抜さ
  • 背面パターンが機能と完全に乖離

この変遷を見ると、Nothingのデザイン哲学に明確な転換点があったことがわかる。Phone (1)/(2)は「調和」「意味」「透明性」が軸だった。(2a)/(3a)シリーズはミッドレンジとして、その理念を継承しつつ進化させた。しかしPhone (3)は「衝撃」「話題性」「再定義」へと舵を切った。


「透明性」概念の変遷:誠実さから記号へ

Nothingというブランド名は、創業者カール・ペイ(1989年生まれ、起業家)が掲げた「透明性」の理念を象徴している。だが「透明性」の意味は、シリーズを重ねるごとに変質してきた。

Phone (1) / (2):誠実な透明性

初代Phone (1)の透明な背面は、文字通り「中身を見せる」ものだった。バッテリー、基板、ワイヤレス充電コイル——これらはスマートフォンの実際の構成要素であり、隠す必要のない技術的真実だった。Glyphインターフェースも同様に、LEDという物理的要素を使った機能的な通知システムだった。

Phone (2)はこの路線を継承しつつ、デザインを洗練させた。Glyph InterfaceのLEDは増え、より複雑なパターンを表現できるようになった。しかし本質は変わらない——「中身を見せる」という誠実さだ。

ここでの透明性は「技術的誠実さ」を意味していた。iPhoneのようにアルミニウムの筐体で全てを覆い隠すのではなく、「これがスマートフォンという機械の本質だ」と見せること。それは、ある種の倫理的な選択だった。

Phone (2) / (2a):記号化する透明性

しかしPhone (2)以降、背面パターンは徐々に装飾的になっていく。もちろん、それでも「機能を示唆している」ように見えた。パターンは基板の配線を思わせ、LEDの配置は何らかの機能的必然性があるように感じられた。

だが実際には、これらのパターンの多くはフェイクだった。透明性は「記号」になった。つまり、実際に中身が見えているかどうかではなく、「透明であるように見えること」が重要になった。記号学的に言えば、透明性は「シニフィエ(意味内容)」から「シニフィアン(記号表現)」へと移行したのだ。

Phone (3):透明性の記号化

そしてPhone (3)。ここで透明性は新しい形で表現される。従来のGlyph Interface(LED通知システム)は廃止され、背面右上に配置されたGlyph Matrix(ドットマトリックスLED)へと進化した。時刻や天気、通知を表示し、さらには「ボトルスピン」や「じゃんけん」といった遊び心ある機能も搭載する。

しかしPhone (3)の最も象徴的な変化は、非対称のカメラ配置だろう。3つのカメラ(広角・超広角・ペリスコープ望遠)は、従来の整然とした配列を捨て、最上段のペリスコープ望遠レンズだけが他の2つとずれた位置に配置されている。

この配置について、Nothingは「3列レイアウト」「現代建築からインスピレーションを得た幾何学的デザイン」と説明する。整然さの中に動きを生み出し、製品が「呼吸している」ような印象を与えるという。


カール・ペイの思想的ルーツと矛盾

この変遷を理解するには、創業者カール・ペイの思想的ルーツを見る必要がある。

OnePlus時代:合理性の追求

ペイが共同創業したOnePlusは「フラッグシップキラー」として知られた。高性能なスペックを手頃な価格で提供し、大手メーカーの価格設定に挑戦する。そこには明確な合理性があった。

OnePlusのデザインは派手ではなかったが、機能的で洗練されていた。無駄を削ぎ落とし、本質に集中する。ディーター・ラムスの「良いデザインは可能な限り控えめである」という原則に近い思想だった。

Nothing創業時:デザインの民主化

Nothingを立ち上げたとき、ペイは「デザインの民主化」を掲げた。高品質なデザインは一部の富裕層だけのものではなく、誰もがアクセスできるべきだという理念。Phone (1)の透明性は、この理念の象徴だった。

「中身を見せる」ことは、ユーザーを尊重することだった。ブラックボックス化されたテクノロジーを開示し、消費者を「知的な共犯者」として扱う。これはAppleの「魔法」とは対極の思想だった。

現在:話題性の最大化?

しかしPhone (3)を見ると、ペイの思想に矛盾が生じているように見える。貫通するカメラ、奇抜な配置、機能と切り離された装飾——これらは「話題性」を最大化するための選択ではないのか。

SNS時代、デザインの価値は「バイラル性」で測られる。InstagramやTwitterで拡散されるデザインこそが「良いデザイン」になる。Phone (3)は明らかにこの文脈で設計されている。衝撃的で、議論を呼び、人々に「これ見た?」と言わせるデザイン。

ペイは一貫性を捨てたのか?

あるいは、これも一貫性の一形態なのかもしれない。OnePlus時代から一貫しているのは「反骨精神」だ。既存の常識に挑戦し、予測可能な選択を拒否する。Phone (3)は「スマートフォンはこうあるべき」という常識を破壊する試みとして見れば、ペイらしい選択だとも言える。

だが、僕には疑問が残る。反骨精神は手段なのか、それ自体が目的なのか?Phone (1)の反骨は「透明性」という理念に基づいていた。Phone (3)の反骨は何に基づいているのか?


スマホデザイン史における位置づけ

Phone (3)を評価するには、スマートフォンデザインの歴史的文脈を理解する必要がある。

iPhone:ミニマリズムの完成形

2007年、初代iPhoneはスマートフォンデザインの規範を確立した。物理ボタンを最小化し、シンプルな矩形、アルミとガラスの素材感。ジョナサン・アイヴのデザイン哲学は「デザインは見えないものである」だった。

良いデザインは自己主張しない。道具として完璧に機能するとき、デザインは背景に退く。iPhoneのミニマリズムはこの思想を体現していた。

追従と停滞

その後、ほぼ全てのスマートフォンメーカーがiPhoneのデザイン言語を模倣した。矩形のガラス板、最小限のボタン、マットな仕上げ。差別化は難しくなり、スマートフォンは均質化した。

この停滞を破ろうとした試みもあった。サムスンのGalaxy Noteシリーズはスタイラスを復活させ、LG Wingは回転する副画面を搭載した。だがこれらの多くは「ギミック」として片付けられ、市場に定着しなかった。

折りたたみスマホ:形態の再発明

真に成功した差別化は、Galaxy Z FoldやFlipのような折りたたみスマホだった。これらは「スマートフォンは矩形である」という前提そのものを問い直した。形態の再発明は、単なる装飾ではなく、使用体験を根本的に変えるものだった。

Nothing Phone (3):ポストミニマリズム?

では、Phone (3)はどこに位置するのか?折りたたみスマホのような「形態の再発明」ではない。使用体験は従来のスマートフォンと変わらない。非対称のカメラ配置は、ペリスコープ望遠レンズという高性能なカメラモジュールを収めるための物理的必然性がある。だが、その配置の「見せ方」——最上段のレンズだけをずらすという選択——は、審美的な決断だ。

だがPhone (3)は、ミニマリズムの「次」を模索しているようにも見える。ミニマリズムが極限まで行き着いたとき、次に来るのは何か?装飾の復活か、それとも新しい美学か?

建築史で言えば、これはモダニズムからポストモダニズムへの移行に似ている。ミース・ファン・デル・ローエが「Less is more(より少ないことは、より豊かである)」と言ったのに対し、ロバート・ヴェンチューリは「Less is bore(より少ないことは、退屈である)」と反論した。

Phone (3)は、スマートフォンにおける「Less is bore」の宣言なのかもしれない。


建築学的視点:構造の正直さとは何か

建築を学んだ者として、Phone (3)のデザインを建築理論の文脈で考えてみたい。

ル・コルビュジエとドミノシステム

スイス出身の近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965、建築家)は「ドミノシステム」を提唱した。柱・スラブ・階段という最小限の構造要素を露出させ、建築の本質を示す。壁は構造ではなく、間仕切りに過ぎない。

この思想は「構造の正直さ(structural honesty)」と呼ばれる。建築は自らの構造を隠さず、見せるべきだという倫理観。装飾は虚偽であり、構造こそが美である。

Phone (1)の透明性は、この思想に近い。内部構造を見せることで、「これがスマートフォンの本質だ」と誠実に示す。

ミース・ファン・デル・ローエ:Less is more

ドイツ出身の建築家ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)の有名な言葉「Less is more」は、装飾を削ぎ落とした純粋な構造美を追求する姿勢を表している。ファンズワース邸やバルセロナ・パビリオンでは、構造と空間が一体化し、無駄な要素は存在しない。

Phone (3a) Proのフィボナッチ配置は、この美学に通じる。カメラの配置は機能的必然性(レンズ、センサーの配置)に基づきつつ、数学的調和を実現している。装飾ではなく、必然的な美。

デコンストラクティヴィズム:機能の解体

しかし建築史はミースで終わらなかった。1980年代、カナダ出身の建築家フランク・ゲーリー(1929年生まれ)やイラク出身の建築家ザハ・ハディド(1950-2016)らは「デコンストラクティヴィズム」を提唱した。構造を解体し、歪め、再構成する。機能と形態の関係を破壊し、新しい可能性を探る。

ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館は、その象徴だ。曲線を多用した titanium の外壁は、構造とは無関係に形態を主張する。それは「構造の正直さ」への挑戦であり、新しい美学の提示だった。

Phone (3)はスマートフォンにおけるビルバオなのか?

貫通するカメラ、機能と切り離された背面パターン——これらはデコンストラクティヴィズム的な解体と再構成と見ることができる。「スマートフォンはこうあるべき」という規範を破壊し、新しい形態を提示する。

だが、ビルバオが成功したのは、単に奇抜だったからではない。内部空間は美術館として機能的であり、titanium の曲面は光を劇的に反射し、都市景観を変えた。形態は機能を否定するのではなく、新しい機能を生み出した

Phone (3)は新しい機能を生み出しているのか?貫通するカメラは、単なる視覚的衝撃以上のものを提供しているのか?この問いに対する答えが、Phone (3)の評価を分けるだろう。

ロバート・ヴェンチューリ:Less is bore

もう一つの視点は、アメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリ(1925-2018)のポストモダニズムだ。彼は著書『ラスベガスから学ぶこと』で、モダニズムの純粋主義を批判した。建築は高尚であるべきではなく、大衆文化や商業主義を受け入れるべきだと主張した。

ヴェンチューリにとって、装飾は虚偽ではなくコミュニケーションだった。ラスベガスのネオンサインは構造とは無関係だが、それでも意味を伝える。建築は記号でもある。

Phone (3)の背面パターンが機能と切り離されているのは、もしかしたら問題ではないのかもしれない。パターンは記号として機能し、「Nothingらしさ」を伝える。貫通するカメラは、技術的必然性ではなく、ブランドのアイデンティティを表現している。

だが、ここでも疑問が残る。ヴェンチューリの装飾は、大衆文化との対話だった。Phone (3)の装飾は何と対話しているのか?SNSのバイラル性か?それとも単なる自己言及か?


現象学的考察:ガジェットと身体性

次に、現象学の視点からPhone (3)を考えてみたい。現象学は「意識が世界をどう経験するか」を探求する哲学だ。ガジェットと身体の関係を考える上で、非常に有効な枠組みを提供してくれる。

ハイデガー:道具存在と対象存在

ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)は、私たちが物を経験する二つのモードを区別した。

手許性(Zuhandenheit):道具として使うとき

ハンマーで釘を打つとき、私たちはハンマーそのものを意識しない。ハンマーは「手許にあるもの」として、私たちの行為に溶け込んでいる。道具が完璧に機能するとき、道具は「透明」になる——意識の前景から退き、目的(釘を打つこと)だけが残る。

眼前性(Vorhandenheit):対象として見るとき

しかしハンマーが壊れたとき、私たちは突然ハンマーそのものを意識する。ハンマーは「眼前にあるもの」として、私たちの前に立ち現れる。道具性が失われ、ハンマーは単なる物体になる。

Phone (1)は「手許性」を持っていた

Phone (1)の透明な背面は、使い始めると次第に意識から退いていった。内部が見えるデザインは新鮮だったが、それは道具性を損なわなかった。カメラを起動し、写真を撮り、メッセージを送る——デザインは機能を支え、邪魔をしなかった。

もちろん、完全に「透明」だったわけではない。Glyph Interfaceが光るたび、内部構造が視界に入るたび、「これはNothing Phoneだ」という意識は喚起された。しかしそれは、道具として の使用を妨げるほど強くはなかった。

Phone (3a) Proは移行期のデザイン

Phone (3a) Proになると、デザインの自己主張はさらに強まった。円形の巨大なカメラユニット、フィボナッチを思わせる配置——レビューでは「インパクト抜群」「こんなの持ってる人いたらジーっと見ちゃいそう」と評された。

だが、それでも道具性は保たれていた。デザインは印象的だが、日常使用の中で次第に背景化していく。スケルトンデザインは「カバーなんてつけずにぜひ裸で使いたい」所有欲を満たしつつ、機能を阻害しなかった。

Phone (3)は「眼前性」を主張する

しかしPhone (3)は、この均衡を崩した。非対称のカメラ配置、Glyph Matrixのドットディスプレイ——これらは常に「見られること」を要求する。手に取る前から「これを見ろ」と主張している。Phone (3)は道具であることより、対象であることを優先した。

これは必ずしも悪いことではない。美術館の彫刻は、道具ではなく対象として存在する。だがスマートフォンは道具だ。日常的に、無意識的に使われることを前提としている。Phone (3)のデザインは、この道具性と矛盾している。

メルロ=ポンティ:身体図式の拡張

フランスの現象学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)は「身体図式(body schema)」という概念を提唱した。私たちの身体感覚は、皮膚で終わるのではない。杖を使う盲人にとって、杖は身体の一部になる。杖の先端で地面を感じ、障害物を避ける。

スマートフォンは身体の拡張である

同様に、スマートフォンは私たちの認知的身体の一部になっている。記憶の外部化(連絡先、カレンダー)、知覚の拡張(カメラ、マイク)、コミュニケーションの延長(メッセージ、SNS)。スマートフォンを使うとき、私たちはデバイスを意識しない。デバイスを通して世界と関わる。

デザインが前景化すると、身体図式は変容する

しかしPhone (3)のように、デザインが常に意識の前景にあると、この身体図式の統合は変容する。スマートフォンは完全に「透明な道具」ではなく、「意識される物体」になる。

これは使用体験を本質的に変えるかもしれない。あるいは、数週間使えばデザインは慣れとともに背景に退き、再び道具として機能するかもしれない。僕自身はPhone (3)を長期使用していないので断言できない。

ただ一つ確かなのは、もし僕がPhone (3)を使うなら、道具として使うために背面が見えないよう、画面を上にして置くだろう。それは、デザインの自己主張が強すぎるからではなく、道具としての集中を保つための選択だ。

ドン・アイディ:技術の現象学

アメリカの哲学者ドン・アイディ(1934-、技術の現象学者)は、人間と技術の関係を三つのモードに分類した。

1. 具現化関係(embodiment relation)

技術が身体の一部として機能する関係。メガネをかけるとき、私たちはメガネを通して世界を見る。メガネそのものは意識されない。スマートフォンも本来はこの関係にあるべきだ。

2. 解釈学的関係(hermeneutic relation)

技術が情報を提示し、私たちがそれを読み取る関係。温度計を見るとき、私たちは数字を解釈して気温を理解する。スマートフォンの画面も、この関係にある。

3. 他者性関係(alterity relation)

技術がそれ自体として立ち現れる関係。ATMが故障したとき、私たちはATMそのものと格闘する。技術は透明な道具ではなく、抵抗する他者になる。

Phone (3)はどこに位置するのか?

Phone (3a) Proは具現化関係にあった。デザインは透明で、道具として機能していた。しかしPhone (3)は、他者性関係に近づいているように見える。貫通するカメラは、常に「ここにデバイスがある」と主張する。それは身体の拡張ではなく、別個の存在として立ち現れる。

あるいは、Phone (3)は第四の関係を提示しているのかもしれない。道具でも情報でも他者でもない、新しい技術との関わり方。それは「装飾的技術」「記号としての技術」とでも呼べるものかもしれない。技術が機能だけでなく、アイデンティティやステータスを表現する時代において、Phone (3)は新しい関係性の実験なのかもしれない。


マーケティングとデザインの緊張関係

最後に、より実際的な視点から、Phone (3)のデザインを考えてみたい。デザインは真空の中で生まれるのではない。市場の要求、競合との差別化、製造コスト、ブランド戦略——これら全てがデザインを形作る。

ディーター・ラムス「良いデザインの10原則」

ドイツのインダストリアルデザイナー、ディーター・ラムス(1932年生まれ)は「良いデザインの10原則」を定式化した。これはAppleのジョナサン・アイヴにも大きな影響を与えた理念だ。

  1. 革新的である
  2. 製品を有用にする
  3. 美しい
  4. 製品を理解しやすくする
  5. 控えめである
  6. 正直である
  7. 長持ちする
  8. 細部まで徹底している
  9. 環境に配慮している
  10. 可能な限りデザインをしない

Phone (3)はいくつの原則を満たしているか?

  • 革新的である:◯(貫通カメラは技術的挑戦)
  • 製品を有用にする:△(機能は従来と変わらない)
  • 美しい:△(主観的だが、調和は欠ける)
  • 製品を理解しやすくする:×(デザインが機能を示さない)
  • 控えめである:×(むしろ過剰に自己主張)
  • 正直である:×(背面パターンは機能と無関係)
  • 長持ちする:?(耐久性は不明)
  • 細部まで徹底している:◯(製造品質は高い)
  • 環境に配慮している:?(不明)
  • 可能な限りデザインをしない:×(過剰にデザインされている)

10原則のうち、Phone (3)が明確に満たしているのは2〜3個程度だろう。ラムスの基準では、Phone (3)は「良いデザイン」とは言い難い。

バイラル性の時代:Instagram映えするデザイン

しかし21世紀のデザインは、ラムスの時代とは異なる基準で評価される。SNSの時代、製品の価値は「シェアされやすさ」で測られる。

Phone (3)はInstagram映えする

奇抜なデザインは、写真映えする。開封動画(unboxing)は再生回数を稼ぎ、背面デザインはストーリーでシェアされる。貫通するカメラは話題を呼び、テック系YouTuberがレビューする。

この文脈では、Phone (3)は極めて「優れたデザイン」だ。デザインの目的が「注目を集めること」なら、Phone (3)は完璧に機能している。

持続可能性との矛盾

しかしここに矛盾がある。Nothingは「持続可能性」を掲げている。長く使える製品、修理可能な設計、環境への配慮。だが話題性を重視するデザインは、本質的に短命だ。

話題は消費される。今日センセーショナルなデザインは、明日には古く見える。バイラル性を追求するデザインは、計画的陳腐化(planned obsolescence)と紙一重だ。ユーザーは次の「衝撃的デザイン」を求めて、買い替えを促される。

Phone (3a) Proのような調和のとれたデザインは、時代を超える可能性がある。フィボナッチスパイラルは、5年後も美しい。しかしPhone (3)の奇抜な配置は、5年後にはギミックとして古臭く見えるかもしれない。

修理可能性と透明性

Nothingは「透明性」を掲げながら、修理可能性についてはあまり語らない。真の透明性とは、単に見えることではなく、理解できること、制御できることだ。

Fairphoneのようなブランドは、モジュラー設計によってユーザーが自分で修理できるスマートフォンを提供している。これは技術的透明性の本質だ。内部が見えるだけでなく、ユーザーが介入できる。

Phone (3)の複雑なカメラシステムやGlyph Matrixは、技術的先進性を示す一方で、修理の難易度を上げている可能性がある。これは「見せる透明性」と「アクセス可能な透明性」の緊張関係を示している。


結論:透明性のパラドックス

ここまで、Nothing Phone (3)のデザインを多角的に分析してきた。建築理論、現象学、マーケティング——どの視点から見ても、Phone (3)は矛盾を抱えている。

最も興味深いのは、「透明性のパラドックス」だ。

Nothingは「transparent(透明)」を目指したはずが、Phone (3)で「conspicuous(目立つ)」になった。透明性を主張すればするほど、デザインは不透明になる。これは現象学で言う「反省のパラドックス」に似ている——意識を意識しようとすると、意識そのものが変容してしまう。

Phone (1)の透明性は、控えめだったからこそ機能した。内部を見せるが、見せつけはしない。しかしPhone (3)は、透明性を記号として消費する。非対称のカメラ配置とGlyph Matrixは「見ろ、これが我々のデザインだ」と主張している。だがその主張こそが、透明性の本質——背景に退き、道具として機能すること——を損なっている。

Phone (3)は失敗なのか?

それは時期尚早な判断だろう。デザインの評価は、時間が必要だ。ビルバオ・グッゲンハイムも当初は批判された。今では建築史の傑作とされている。

あるいはPhone (3)は、新しいデザイン言語の始まりかもしれない。「ポストミニマリズム」「装飾的技術」「記号としてのガジェット」——これらの概念が成熟すれば、Phone (3)は先駆的な試みとして評価されるかもしれない。

だが僕個人としては、Phone (3a) Proの調和が懐かしい。

フィボナッチスパイラル、クリーンなNothing OS、意味のあるパターン——それらは「見えないデザイン」の完成形だった。デザインが背景に退き、道具として完璧に機能する。それこそが、真の透明性ではないのか。

Phone (3)が提起した問いは重要だ。技術の時代において、デザインは何であるべきか?道具か、記号か、それとも芸術作品か?この問いに対する答えは、まだ見つかっていない。

ただ一つ確かなのは、Nothingは安全な道を選ばなかったということだ。それは称賛に値する。たとえPhone (3)が失敗だったとしても、挑戦しない均質化よりは遥かに価値がある。

カール・ペイが次に何を見せてくれるのか、僕は期待と不安を抱きながら見守っている。

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高校1年生の時にWindows Phone(Nokia Lumia 900)を初めてのスマホとして手にしてからガジェットの虜になった者。 2019年9月ドイツ・ベルリン工科大学へ留学 2021年9月東北大学大学院都市・建築学専攻修了
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